「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」マルコ14:36

いつも「主の御心なら」という意識は非常に大切だ。自分の人生のあらゆる場合に、へりくだって主を認めて行く事は幸いだ。何かをしようとする時に、自分の意志と、主の意志はどうだろう。合致しているのか、相反しているのか。又、その動機の部分はどうだろう。

 

ある人が、ボランティアをしようと思った。しかしその時「主の御心なら、このことを、または、あのことをしよう」との言葉が来て、主のお心はどうなのだろうと、立ち止まり心探られた。単に善をしたいとの「自分の思い」か。自分の見栄なのか。自分の自己満足なのか。又、人の賞賛のためだろうか。更に、ボランティアでなく、もっと他に本当にやるべき事はないのか。

 

何かをしようとする時に、まず祈る事は大切だ。主のお心はどうかと求めてみよう。人には自己実現という欲もあるので、良い事だとしても、主の栄光でなく、自己満足のためにしてしまう。いつも「主の御心なら」それをしようとの姿勢は大切だ。“人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る”箴言1921とある。

 

自分の思いで、肉でしたとしても、実を結ぶ事がない。計画をまずは祈りに持って行こう。そして「主のみこころなら、私たちは生きていて」とあり、「明日○○しよう」と言っても、明日の事はわからず、明日生きているかは、私たちにはわからない。主の御前にへりくだって、何より主を仰いで、主を求めて生きることが大切だ。その時、豊かに実を結んで行く。

 

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自分の思いや、突然の思いつきで、物事をしてしまう場合がある。状況的にストップとなり、又、様々な要因で行き詰まってしまう。その時、祈っていなかった事、自分の思いで行動した事に気づかされる。実を結ぶ事がなく、まず主の御心を求めて行きたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係