「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、 互いに徳を高め合いなさい」Ⅰテサロニケ5:11

ある人が、厳しい試練の中にいた。苦しみに打ちのめされ、神はわかるのだが、自分は祝福されていないと思えて、心を屈折させていた。他の人々が幸せそうで、羨ましいばかりだった。教会へも、人の集まりに行けず、人に会いたくなかった。そんな中、ある人が、彼女を訪問するよう主に示されて、従った。

 

訪ねてもらっても、素直になれず、会いたく無かった。嫌々仕方なく会った。しかし、もう一人の自分もいた。こんなひねくれた、態度の悪い自分を、わざわざ訪ねてくれて、申し訳ない、有難いとの思いがあった。新しい性質の反応だった。

 

だが彼女の訪問がきっかけで、又、翌週、教会へ行けて、以前のように出席できた。御霊の働きだった。ある人は、やはり大きな苦しみに会い、心身消耗しきっていた。弱り果て、もう考える事も、祈る事もできなかった。気力が無く、どうにもならなかった。家族が、懸命に祝福を伝えて、励ましてくれるのだが、心が動かなかった。

 

しかし、その励ましによって、御言葉を読む気力とまでは行かないが、聖書を手に取った。パラパラと見ていた。読むのでなく、ぼお~と見ていたという状態だった。すると驚くべき事が起こり、その見ていた御言葉が、心に光が射し込むように響いて来て、語りかけて来た。御言葉により、今の苦しみの状況が、ふに落ちたのだ。そこからもう一度立ち上がることができた。親族の励ましに、愛情に、心から感謝した。

 

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よく祈って、御霊に導かれて、相手に励ましや慰めをして行く時、そこに御霊が働かれるので、実を結んで行く。自分の思いと力でなく、まず導きを求めて、よくよく祈って従おう。相手への励ましのために、用いて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係