「・・そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです」マルコ7:22

人の罪は、外側からウィルスのように体内に入るのではない。外から入って、汚す事は不可能だ。内側から、心から生まれ、外側に出ると。だから罪は心にあり、内側の問題だ。内から出るものが人を汚す。カインは、献げ物が主に受け入れられた、弟アベルに対する悪い思いに支配されてしまった。

 

妬みや怒りに身をゆだね、その結果アベル殺害に至った。まず内側から湧く悪い思いがあり、殺人の行為に及んだ。これはカインの内の問題であり、外部のアベルは関係が無い。アベルは受け入れられ、自分の献げ物は退けられた、その事象しか見えず、心に湧く悪い思いには目が向かない。

 

その怒りはアベルに向いた。私たちは怒りや憎しみがある時、その原因を、人や、環境によると思う。相手が悪いから、自分は憎んでいるのだと。自分の憎しみは正当化し、どこまでも相手のせいになる。だが平安は全く無い。実は「自分の問題」だ。

 

ある人が、傷つけられた相手を恨んでいた。悶々状態だったが、ある日「外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない」と語られた。「人から出るもの、これが人を汚す」と。「え!」と目からうろこだった。自分がつらいのは、相手のせいだと思うので、ますます相手を恨み、ますます苦しくなっているに気づいた。

 

相手ではなく、自分から出る恨みが、その罪が自分を苦しめていると。相手は、相手と主との問題だと思えた。間違っていたなら裁かれるだろうし、自分は、恨みの罪を悔い改めた。すると平安が戻り、悶々が消えた。

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相手が悪いと、つい自分の憎しみを正当化してしまう。自分の内から出ている罪に気づいていたい。主の御心にならいつか正しく裁かれる。主に委ね、自分自身が主の前に平安を得よう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係