「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます」Ⅱコリント3:18

人は、対人関係で悩む事が多いと言われている。職場でも仕事自体より、対人関係で悩むと。しかしその人間関係の中で、主は、私たちを砕かれ、練られ、成長させて下さる。人から批判され、悪口を言われる。それは思い当たる事であったり、全く理不尽だったりする。非を指摘された時に、ムッとするだろうか。怒りが沸くだろうか。

 

しかし反応する自分に、自らの真の姿が映し出される。人里離れた山中で、一人暮らしをしていて、自分は愛深く、寛容で、親切で、忍耐があり、自制があり・・と思うのは簡単だ。誰とも摩擦はないし、関わりを持たなくてよい。何をしようと人に迷惑かける事はない。だが目の前に人が来た時に試される。本当の自分があらわになる。

 

自分に愛がない事、寛容も、忍耐も、自制もない事を知される。しかし、それは目の前に、そういう相手が送られなければわからない事だ。自分は愛があると思っている。目の前に嫌な相手が置かれるまでは。その時に初めて、自分に愛が無い事を思い知らされる。嫌いな相手が、自分の真の姿を知らせ、成長させ、成熟させてくれる。

 

当時、金の精錬のためは、火が使われた。火は、金の表面に不純物を浮き出させ、除去しやすくする。私たちも試練により、不純物を除かれて、きよめられて行く。自我が砕かれ、練られ、キリストのかたちへと造り上げられて行く。まず自分の真の姿を知ることから、豊かな祝福が始まる。実を結ぶ者と変えられて行く。

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不純物を知り、認めることは痛いが、すぐに自己満足に歩んでしまう自分にとって必要な主の取り扱いだ。心に波風がたつのはどうしてだろう。逃げずに主に祈り学ぼう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係