「ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル4:2

ヘブル書に「あなたがたの先祖たちは、わたしを試みて証拠を求め」とモーセに率いられた民の例が出てくる。約束の地カナンに入るために、苦難のエジプトを脱出できたのに、40年間荒野をさまよった。そのあげく、約束の地に入れずに、20歳以上の者たちは皆、荒野で滅んでしまった。ヨシュアとカレブと新世代だけが、約束の地に入った。

 

民たちは皆、エジプトでの災害の奇跡と紅海が分かれた大奇跡を目の当たりにした。何も無い荒野で水が湧き、マナやうずらが降る奇跡を見、雲の柱や火の柱、様々な奇跡を見た。見たにもかかわらず、なおも神を信じる事をせず、約束の地に入る事を拒否した。そんな民たちを教訓とするように警告している。

 

彼らは神の言葉を聞いていた。主が乳の蜜の流れる地へ導き入れるという良き知らせを聞いていた。だが、その聞いた言葉が「信仰によって」結びつけられなかったため、何の益も無かった。斥候の言うカナンの強敵について聞いた時に、神を信じる事が無かった。

 

せっかく苦難のエジプトから救い出して下さったのに、神への信仰がなく、自らの不信仰のゆえに、荒野で死んでしまった。私たちは主の御声をどう聞いているだろう。受け止めずに、右から左へと聞き流しているだろうか。拒んでいるだろうか。

 

主の愛から発した、主の真実な言葉だ。その一言一言に向き合い、受け止めて、従えるように祈ろう。出来ないなら、そのように助けを求めて祈ろう。従えるように助けて下さる。

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多くの困難から助け出されたのに、すぐに忘れてまた思い煩ってしまう。何と不信仰な者だろう。着物はすり切れず、足ははれなかったではないか。信仰をもって主の御言葉を聞き続けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係