「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。 それで、そこはマラと呼ばれた」出エジプト15:23

モーセに導かれ、イスラエルの民はエジプトを出たが、その時、男子だけで60万人、女子子供を入れると200万ほどだろうか。大変な数だ。葦の海から旅立ち、3日間荒野を歩いた。水が見つからず、水を探した。マラでようやく水を見つけたが、それは苦くて飲めなかった。そのいら立ちと不満はモーセに向かったた。

 

「私たちは何を飲んだらよいのか」と。モーセの素晴らしいところは、それを自力で対応せずに、まず主に持って行った事だった。モーセが祈ると一本の木が示された。それを水に投げ入れると、水は甘くなり、その水は民を潤した。「その所で彼を試みられた」とあり、民だけでなく、モーセへの試みでもあった。

 

試練の中で、主の御声に従うかどうかを試された。民はエジプトを出て、まっすぐ行けば、カナンまで2週間程だが、あえて荒野へと南下させられ、40年間荒野をさまよった。これは、主が民を様々な試みを通し、訓練し整えるためだった。信仰を成長させ、主に従って生きる事を身につけて行く、実地訓練であり、その歴史だった。

 

私たちも荒野を通る。様々な苦しい問題や悩みを通り、試され、砕かれ、練られ、鍛えられる。そして信仰者として整えられて行く。主を信じ、御言葉によって生きる事を培われて行く。その荒野の間中、主はずっと天からマナを降らせられた。主に従うなら、必ずすべての必要が、満たされる事を見せられる。

 

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主は試練と共に、脱出の道をも備えて下さっている。主のサポートは万全だ。日々の天からのマナと共に、道中ずっと昼は雲の柱によって導かれ、夜は火の柱で照らされた。目の前の問題に飲み込まれず、主を仰いで、主の視点に立てるよう祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係