「『・・彼女のもとで身を低くしなさい』また、主の使いは彼女に言った。『あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきえないほどになる』」創世記16:8

アブラムとサライは、子どもを与えるとの主の約束を待てず、女奴隷ハガルにより子供を持とうとした。ハガルはみごもった時、高慢になり女主人を見下げた。それに激怒したサライは、ハガルをいじめたので、ハガルはつらくて逃げ出した。孤独で、荒野にいた時、主の使いが「サライの女奴隷ハガル」と語りかけた。「サライの女奴隷」と、はっきりと現実を見せ「あなたはどこから来て。どこへ行くのか」と。

 

ハガルは居場所を失い、自分を見失い、行き場を失っていた。「女主人から逃げている」と答えた。苦しみから逃げたいばかりだった。すると「あなたの女主人のもとに帰り、彼女のもとで身を低くせよ」と。ハガルはサライの奴隷なので、戻り、へりくだって、女主人に仕える事がハガイのすべき事だった。そこがいるべき場所であった。

 

一番したくない、苦痛で、嫌な事であろうが、実はそれこそが、ハガルにとって、一番幸せで平安の道だった。自分の遣わされた場所から逃げても、真の解放感も平安も無い。私たちも自分を見失い、行き詰まる時、主と新たに出会う事により自分を取り戻せる。又どんな主人であれ、見下げる事は御心ではない。そこで平安を失ってしまう。

 

私たちも、相手に関係なく、自分は主との関係において、御心に歩むならどんな状況であれ、心は平安だ。主が平安を与えて下さるからだ。そして主はハガルをも心にかけ、子孫を数え切れないほどに増やすと約束された。自分に語りかけられた神と出会い、主のあわれみと恵みを受けたハガルは、主に従うべく、サライのもとに戻った。

 

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つらい苦しい試練の時は、逃げ出したいと思う。楽な方へ行きたい。逃げるといっ時の、肉の解放感がある。しかしそこを逃げても全く平安は無い。へりくだりが必要だが、へりくだって主の御心の場所にとどまる時、何にも代えられない主の平安を経験する。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係