「愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった」マタイ25:4

十人の娘が出て来る。花嫁の側の娘たちで、花嫁の家に、花婿が到着するのを待っていた。だが花婿は思いのほか遅れて、夜中になった。十人とも眠ってしまった。すると突然、花婿到着の知らせが来た。五人は自分のともしびと一緒に予備の油を用意していた。ところが五人は用意していなかった。

 

もう今にも火が消えそうで、油を分けてくれと頼んだ。だが分けるほども無いので、店で買うようにと。急ぎ買いに走り、戻ると、もう花婿到着で、祝宴の戸が閉じられ、入れなかった。明暗がはっきり分かれてしまった。賢い五人と愚かな五人のどこが違ったのか。どちらも、ともしびを持ち、どちらもウトウト眠っていた。

 

賢い五人は居眠りしなかったのではない。彼女たちも同じだった。違いは「予備の油」を持っていたかどうかだった。花婿は再臨のキリストであり、娘は私たち一人一人だ。油は聖霊で、その油は、上げたり、もらったり出来るものではない。不可能なのだ。

 

何と冷たい、分けて上げれば良いのにと思ってしまうが、聖霊を分け与える事など出来ない。大切な事は、今日の生活を天につなげたものとして、いつか天に帰り、主にまみえる事を常に踏まえて生きる事だ。それはこの世にいる間、まず聖霊を求め、聖霊の導きを、聖霊の満たしを求めて生きる事だ。

 

それは地道に日々主と交わり、主との関係を培い、深めて行く、それが油を準備しておく事だ。自分と主との個人的関係の事なので、人に上げたり、もらったり不可能だ。今、主との個人的交わりはどうだろう。まずそこが土台なので、そこを大切にし、第一のものを第一にしてゆこう。

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毎日、毎日、御霊の力によって励まされ歩もう。主は望むだけ聖霊を分け与えてくださる。今しかできない事だ。大切な第一のものを見誤らないよう、本当にふさわしいものを備えよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係