「幸いなことよ・・まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」詩篇1:1

広大な砂漠に緑の木々を見ることがある。みずみずしい葉が、生い茂っている。そこには川があり、水がある。日照りのまっただ中で、水路のそばの木々は青々と葉を茂らせている。「水路のそばに植わった」がカギだ。

 

どのような苦しく悲しい試練の嵐の中でも、その人は青々と葉を茂らせ、決して枯れない。なぜなら水路のそばに植わっているからだ。そのため水路から絶えず水分を吸い上げ、十分に回り、葉を瑞々しく茂らせて行く。「その葉は枯れない」。木の問題でなく、どこに植わっているかの問題だ。

 

同様に私たちも、主から、御言葉から、常に豊かないのちが流れて来る。御言葉に根ざし、御言葉を喜びとし、御言葉を絶えず口ずさむ。そこから力と喜びが湧き出て、日照りの中も、それによって生き生きと生かされて行く。「何をしても栄える」のは、商売繁盛とか、五穀豊穣、無病息災、家内安全といった御利益ではない。

 

何でも自分の思い通り、願い通りになるのではない。御言葉を喜びとする人の願いは、神によってきよめられて行くので、自己中心の願いが、神のお心にかなったものへ軌道修正されて行く。それゆえそれは叶えられる。

 

神の御心を求めて行くので、豊かに祝福され栄えて行く。結局、土台を何にするかだ。主の言葉か、自分のはかりごとか。主に頼るのか、自分の力で行くのか。主を見上げて、拠り頼んで行こう。豊かに祝福される。周囲をも潤して行く。

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どんなに風が吹いても主の御言葉を思いめぐらし繰り返すとき、恐れが平安に変わる。確信が揺らぐと恐れが来るが、主の御言葉が力強く支えてくださる。いのちの御言葉に生かされていく。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係