「「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる」 イザヤ1:18

あなたも失敗した経験があるだろうか。ある人が大失敗をしてしまった。軽率な言動、行動に、後悔してもしきれなかった。自分とした事が、よく考えもせず何と愚かな事をしてしまったのか。自分がしたとは信じれられない。取り返しがつかない。しかし教えられた。紛れもなく、それが自分なのだと。

 

本来の自分でないと思いたいし認めたくないが、自分はそのような愚かな者なのだと。高慢を砕かれた。主に頼る事なく肉で歩むと、欲望のままに歩んでしまう。自分がいかに罪深い者であるかを知らされ、主の十字架がまさに自分のためだと思い知らされた。

 

それまで罪人と言われてもよくわからなかった。法に触れてもいないし、大罪を犯したわけではない。人に迷惑かけないよう真面目に生きて来た。だが自分の本性は罪を好み、自然にしていれば罪を犯し、又、罪を犯してもそれも認識できず、平然としている恐るべき罪深さを知らされた。

 

つらい所を通ったが、初めて主の十字架が、誰のためでもなく、この自分のためであり、十字架の意味がわかった。人前にも、隠しようのない失態であった事も益とされた。人に知られた事によってプライドは砕かれ、へりくだらされた。もし人目に隠しおおせたなら、懲りずにいたに違いない。

 

バレさえしなければ問題無いと、どんなに罪深い者であるかを御霊は教えて下さる。主のご愛と真実だ。罪を認めて、悔い改めるなら真っ白にされる。何という恵みだろう。主の恵みがどんなに大きく、主の愛がどんなに深いかを知らされて行く。

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罪を罪だと示されることはどれ程の祝福であるか。認めなければ赦されることもない。御霊の促しに素直になり罪を認めていきたい。十字架に感謝して賛美して歩みたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係