「彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした」詩篇22:5

ある人が、当座の必要が生じ、給料が入ればすぐ返せると、よく知らず、すぐに借りられる金融機関から借金をした。それが、大変な利息になり、諸事情も重なり返済できず、どうしてよいかわからなかった。恥ずかしくて絶対に誰にも言えない。

 

誰にも知られたくなかったが、どうにもならず、牧師に打ち明けた。祈りもせず、軽率であった事を悔い改め、一緒に祈ってもらった。主は祈りに答え、あわれみにより、みわざをもって必要を与えて下さった。その事を通して、身をもって教えられた。

 

「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」すぐに借金に走らずに、まず祈るべきであったこと。主は必ず必要を与え、又、祈るならふさわしい導きを与えて下さったであろうこと。

 

自分は主を信じる事ができていない事を思い知らされた。御言葉を信じる事が出来ないから、自分が動き、自分の判断、自分の思いで行動すること。主を信頼しきれない、不信仰な自分の姿を思いきり知らされ、砕かれた。非常に手痛い失敗であったが、感謝であった。

 

この取り扱いを通して、主のあわれみを経験して、どんな状況であれ、そこで祈り、主に頼るなら、主は助けて下さるとを、信じることができるようにされた。主は信頼する者に決して恥を見せられる事はないと。大きな前進であった。主は、私たちの内側を照らし、一段階成長へと一歩ずつ手を取って導いて下さる。

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忍耐と励ましの主は、私たちの成長できないところを知って導かれる。感謝だ。手痛い取り扱いも必ず主の深い意味がある。だから既に光の中だ。主に明け渡そう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係