「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主は あなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6 

信仰人生の中で、私たちは様々な苦しみや悲しみを経験する。なぜ、どうしてと、わけのわからない、理不尽な事が起きる。病気やけが、経済的苦境、対人関係の悩み等、それらはクリスチャンもノンクリスチャンにも同じように起きる。しかし神を信じる人々は、どのような出来事の中にも主を認めて行く。

 

つらく苦しい出来事の中にも、主を認め、そこに主がおられ、主の愛、主の慈しみを経験し、主のご計画があることを学んで行く。神を信じない人は、どんなに素晴らしい喜ばしい出来事があっても、そこに神を認める事はないし、感謝する事もない。それらはすべて偶然であり、ラッキーなものだ。そこの違いだ。

 

私たちは、苦しい事にも、思い通りでない事にも、そこに主を認める。つまり行く所どこにおいても、起きる出来事に主を認め、主を見て行く。別の箇所に、辛い涙の谷を過ぎる時にも、そこを泉の湧く所とするとある。

 

涙の様々な出来事を通るが、そこでこそ主の真実や、愛や、恵みを知ることができる。そこで、新たに主に出会って行く。主を知り、この世の喜びでなく、御霊の喜びを味わって行く。そして、あらゆる道において、出来事において、主を認めて行くなら、私たちの道をまっすぐにされる。

 

まっすぐにとは、道が自分の思い通りになるのではなく、心に世のものではない、主の平安が与えられることだ。主の平安は、何にも代えられない。状況がどうであろうと心に平安があるなら、問題で無くなってしまう。

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全てが主の最善の導きだと認めて生きられるのは、何と自由で平安な歩みだろう。嬉しい時には賛美を、悲しい時には祈りを主に持っていける。思い通りにならないところを通って主に出会えた幸いだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係