「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩篇46:10

ある人に突然、家族に関わる事で、大きな問題が起きた。大変な事になったと、パニックだ。いつも学んでいるように、まず祈るのだが、祈っている最中も「どうしよう、どうしよう、どうすれば良いか」と頭はぐるぐる巡り、方策を懸命に考えている。これは祈りではない。あれこれと考えを巡らすばかりだ。自分が立ち騒いでしまっている。

 

それなら自分の肩に重荷がどっとかかるので、そのため平安など全く無く、不安でたまらない。段々と「こうなったら、どうしよう」と最悪の結末のシナリオまで浮かんで来る。ますます不安は募り、思い煩いでいっぱいだ。恐れと不安の数日が過ぎ、余りにも胸が苦しくてたまらず、主に叫んだ。

 

その時、「やめよ」とのみ言葉が臨み「わたしこそ神であることを知れ」と。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」と語られた。そして自分は「いや、私たちは馬に乗って逃げよう」と言っている者だと。

 

自分で心騒がせるばかりで、自分で何とかしようとしている姿を見せられた。そのため全部が自分の肩にかかるので、焦り、恐れ、不安しかない。「やめよ」「静まれ」「わたしが神だ」「わたしに信頼せよ」と言っておられる。問題に飲み込まれ、問題しか見えず、神が見えていなかった。

 

口先で祈り、しかし自分が動き回っていた。今度は祈りにおいて、ことごとく主に問題を持って行くようにされた。不安しか無かった心に、初めて安堵が与えられた。

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頭ではわかっていても、いざ自分に問題が降りかかるとどうしても結果が気になり、祈りが口先ばかりになっていくのを経験する。不安を正直に祈っていこう。主のご臨在に満たされる。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係