ダビデを激しく妬んでいたサウル王は、ダビデを殺害すべく、どこまでも狙っていた。そしてその事を息子ヨナタンと家来全員にも告げた。ヨナタンはダビデを非常に愛していたので、助けようとする。ダビデにその事を話し、隠れ場にとどまり、身を隠すよう告げる。愛する父親と、愛する親友、自分の愛する人たちのはざまでヨナタンはどんなに、つらく悲しかった事だろう。
父親が憎み、敵対するダビデの事を、父親に進言する事は、どんなにか勇気が要った事だろう。しかしヨナタンは親に、ダビデは罪を犯していない事、むしろ王のために益となっている事、なぜ理由もなくダビデを殺そうとし、罪を犯すのかとはっきりと直言した。ダビデはサウルに何の悪い事もしていない。逆に忠実に仕えていた。ヨナタンはその事が言える立ち位置にいた。
エステルも、ユダヤ人皆殺しの法令が発布された時に、王に嘆願できる位置にいた。それは他の誰にも出来ない事だ。そしてその時、その場所にその人を置かれたのは神だ。ヨナタンは、ダビデの事を、誰よりもよく知るがゆえに、執り成す事ができた。ヨナタンは自分のなすべき事、自分の使命を果たした。
エステルもユダヤ人の救いのために、命をかけて自分の使命を果たした。私たちも、それぞれ現在、置かれている場所がある。あなたの位置と立場だからこそ、できる事がある。それは、あなたにしかできない事だ。置かれている意味を考え、自分に与えられた、自分にできる事をして行こう。
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ヨナタンもエステルも、主に大きく用いられたが、丁度それぞれの状況において動ける位置にいた。そして彼らにしかできない事だった。自分が置かれた場所で、主からの導き、示しをよく見張っていよう。自分にしか出来ない事が備えられている。