「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」エレミ ヤ33:3

ある人が、父親が老齢となり、悩み抜いた末に仕事を辞し、都会から田舎に戻る決心をした。小さな店だが何とか充実させ、拡げて行きたいと、そのための勉強もし、努力を重ね、懸命に働いた。少しずつ実が見え始めた頃、近くに大型店が出来た。もうどうやっても太刀打ちできず、店を畳む事になった。ひどい失望落胆に襲われた。

 

仕事を辞めてまで戻り、頑張って懸命に働いたのに、「なぜ?こんな事に?」。虚無感に襲われた。これからどうすれば良いのか、何もかもを、ことごとく祈りに持って行った。とにかくしばらく祈ろうと、心の思いも感情も主に告げ、又、現状も告げ、祈った。そんな中、思っても見ない展開に。何と神学校へ行き聖書を学ぶよう導かれたのだ。店を畳み、フリーの身になったからこそ出来る事だった。

 

ある人も自営業の中、やはり大きなライバル店が、すぐ近くにできて、みるみる赤字がかさみ、もう無理で、店を畳んだ。持ち家を売却し、借金はすべて返済できて、どこにも迷惑をかけずに済んだ事が感謝であった。しかし、熟年であり、これから先どうすれば良いのか。何のすべもなく、主に呼ばわり、ひたすら祈りに祈った。

 

するとそんな中、息子からの誘いが来た。田舎で家賃も格安で、すべてに安く住みやすい。来ないかと。自然は素晴らしく、孫とも楽しく、主は新たな生きる喜びを下さった。私たちも突然の行き詰まり、失意、挫折を経験する。しかし主にはご計画がある。備えがある。「災いではなくて、平安を与える計画」の通りに、道が備えられている。まず主を呼ぼう。

 

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「主の山の上に備えあり」は真実だ。どんな時も、どんな場合も必ず主の備えがある。試練の時は、見えるところは、失望落胆、絶望のように思えるが、生ける主がおられる。不思議な展開を経験して行く。信じて行こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係