「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい」ガラテヤ6:1

ある人が厳しい試練の中にいた。苦しくて、つらくて、又、全く先も見えない中、真っ暗だった。大変な不安の中、心はネガティブに傾き、落ち込み、心を屈折させて行った。人が皆、幸せそうに見えて、なぜ自分ばかりと思えてしまう。心がすさんで、ひがんだ言葉が口から出る。周囲の人々は心配して、ずっと祈っていた。

 

そんな中、彼女と親しい主に在る友人が、主に示されたのだ。彼女の状態を指摘し、忠告するようにと。なおも祈っていると、語るべき言葉まで御霊は示される。しかし厳しい言葉であり、言われた相手は痛く、受け入れられず、怒るだろうと思えた。そんな事も、思いも何もかも告げて祈り続けていたが、主の示しは変わらなかった。

 

どれだけ祈っても忠告するよう促される。相手の性質上絶対に怒ると思ったが、示しに従った。すると思った通りに、相手は激怒して別れた。しかし導きに従った後、不思議な経験をした。この事の結果への思い煩いが全く無く、平安だったのだ。心配も無かった。主に従ったので、後は主のなさる事と思えた。

 

すると夜遅く相手から電話がかかった。「悪い態度をごめんね。悪かったと思ってる。言ってくれて有難う。」と。あれからずっと考えたが、言えば嫌われる事がわかっているのに、言ってくれた事に、思いが至り、愛情を感じた。自分が間違っていて、悔い改めたと。主に向く事ができ、軌道修正がなされた。

 

一人が御霊に従う時、双方が主を経験し、新たに主を知る恵みにあずかれる。そして周囲も主のみわざを拝する。

 

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忠告や警告は、なかなか難しい。まず自分自身がよく祈り、御霊によって整えられ、用いられるよう祈り、従おう。通り良き管として用いて頂こう。御霊の導きに従う時、必ず自分も平安に満たされ、みわざを見せられて行く・

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係