「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった」 出エジプト40:37

モーセに導かれたイスラエルの民は、出エジプトを果たし、荒野に出た。その厳しい環境である荒野にある間、雲の柱、火の柱がずっと共にあり、進むにもとどまるにも、明確な導きが与えられた。常に、雲と火の柱により指示があった。いつもそれらを通して、主を見、その導きを見ていた。

 

「雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった」、主が停止される所で、とどまった。私たちはどうだろう。止まる事が苦痛で、先へ先へと自分で旅を続けたいかもしれない。ある人は帰省の事で、主から教えられた。長年、実家を遠く離れていた。老齢の親を思い、又、友人たちにも会いたく、帰省を志した。

 

計画するも、急な仕事が幾度も入り、今度こそと思うと、はずせない用が出来る。どうしても門が開かれない。その時に、幾ら願望があっても、焦っても、雲の柱が動かない限り、動かないのだと気づかせられた。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」、すべてに神の時があることを覚えさせられ、主が動かれないのならと、心が平安にされた。

 

主が動かれる時が、帰省の最善の時と思えた。主を知る前は、何が何でも自分で戸をこじ開けようとしていたし、又、開かないなら不満や怒り、悶々でいっぱいだった。しかし主が、自分のために最善をして下さると信頼できてた。主に委ねて、主に従って歩む事ができる幸いに、今一度心から感謝した。

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自分で全てを計画し動こうとする時、何かにつけて思い煩い動揺する。主の導きを信じて主を仰いで進むなら毎日は新たな発見の連続だ。主が先を行かれるからだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係