「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い神に知っていただきなさい」ピリピ4:6

主は「何も思い煩うな」と言われた。「何も」とは何という事だろう。いっさいがっさいの事、すべて思い煩わなくてよい、主に委ねよと。それは、主があなたの事を心配して下さるからだと。目の前の苦しんでいるその問題も、心配無用、主に委ねよと。しかしどうだろう。主にそう言われているのに、あれもこれも、思い煩ってしまうだろうか。

 

思い煩いはどこから来るのだろう。それは、問題を自分で何とかしようとし、又、そう出来ると思っているところから来る。そのため自分の肩に、すべての荷がかかり、苦しくてたまらない。そして思い煩っている時は、主が飛んでいる。主がいない。問題と自分だけだ。そのため、問題に飲み込まれてしまい、苦しいばかりだ。

 

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」。その前節に「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだれ」とある。「神の力強い御手」とあり、思い煩っている時はどうだろう。「神の力強い御手」が全く見えない。消えている。どんな時も、私たちは、神の力強い御手により守られている。

 

へりくだるとは、目の前の状況に神を認める事だ。そして神に拠り頼む事だ。御手を認めない事は高ぶっていることになる。問題が、委ねられないところにあるなら、まずそのまま告げて祈ろう。人に出来ない事が、神には出来る。委ねられるよう導いて下さり、平安を与えて下さる。

 

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「何も」、いっさい思い煩うなと言われる。一つも思い煩うなと。しかし、うじうじくよくよと思い煩ってしまう。その事を認め、主に祈りに持って行こう。自分が握りしめていて、ゆだねる事ができない事に気づかされる。主が平安の道へと導き、助けて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係