「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」マルコ4:40

ある50代半ばの会社員が勤めていた小さな会社が倒産した。夫婦でどっと不安に襲われた。家の多額のローンは? この年齢で再就職があるのか。路頭に迷うかも知れないとの思い煩いに、眠れない日々が続き、食事も喉を通らなかった。主のもとへ行き、切なる助けを求めたところ、御言葉を下さった。

 

「私たちのために、重荷をになわれる主」「重荷を主にゆだねよ」「主は、あなたのことを心配して下さる」「重荷を負っている人は、わたしのところに来よ。わたしがあなたがたを休ませる」「思い煩いを、いっさい神にゆだねよ」。目の前のこの心配を、主が担う、荷を主に委ねよ、休ませる、主が心配を引き受けるので、思い煩いを一切委ねよと言われた。

 

不安と恐れは、どこから来るのだろう。湖で、嵐に会い、パニックになる弟子たちに、主は「信仰が無いのはどうしたことです」と。嵐でなく、不信仰が原因だと言われた。委ねきれない奥に、不信仰がある。主を信じられないので、任せられない。自分が手放すと、何もかもだめになってしまうと思う。そのため握って放せない。

 

自分で何とか出来ると思っているので、全部が自分の肩にかかり、身動きが取れなくなる。まず委ねられない自らの無力を認める事だ。正直に祈って行く時に、主の恵みは十分で、弱さの中に主の力が働く。主が信仰を与え、信頼を深めて行って下さる。

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心配事を手放したら真っ逆さまに落ちていく気がするが、そこには主がおられる。主だけがおられる。安心して主に頼ろう。主が必要を備えてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係