「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」Ⅱコリント5:7

時に、対人関係の悩みにぶつかる。職場で、近隣で、この人がいるから、私の毎日は真っ暗だろうか。あの人さえいなければ、平穏な日々なのにと。あの人、この人と、ストレスになるような人々がいるものだ。ヨセフは、兄たちの悪巧みで、エジプトの隊商に奴隷として売られた。それは妬みによるもので、悪意であった。

 

しかしエジプトで良い主人に仕える事ができ、主人から全面的信頼を受ける。だがその妻によりえん罪で投獄に。上がったり下がったりと波瀾万丈の人生だが、くさらず、諦めず、投げ出さず、そこで主を仰ぎ、信仰に立った。後に傷つけられた兄たちと再会する事になるが、ヨセフは「私をエジプトに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に神」と真っ直ぐ信仰に立った。

 

兄たちが隊商に売ったのだが、そうでなく神がヨセフをエジプトに遣わしたのだと。ヤコブ一族の命を救うためのご計画だと。主を中心に据える時に、見え方が違って来る。嫌な相手がいるなら、その人を置かれたのは神だ。この人さえいなければと思うが、私たちの成長のために、練り、整えるために、あえて合わない相手を置かれる。

 

私たちを削り、砕き、間に合う器と造り変えるためだ。主に間違いはなく、無駄は一つも無い。嫌いな相手を通して、裁き、憎み、嫌悪する自分の姿も見せられる。そして取り扱われ、変えられて行く。すべての事をあなたの益のために働かせて下さる。どんな状況でも、常に希望がある。信仰に立とう。

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避けられない人間関係は重くのしかかるが主を通って目の前に与えられたと信仰で見ていけるよう祈ってみよう。偶然ではない主のご計画がある。そう受け取れるよう、主が助けてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係