「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます」詩篇139:1

ある人の証しだ。主との交わりが大切で、その手段として祈る事ができ、自分の願いや悔い改めを主に告げて行ける事。主は御言葉を通して語って下さり、お心を現して下さる事。デボーションが大切で、信仰生活の生命線だと教えられ、よくわかる。主との交わりがまず大切だと、わかっているつもりなのに、なかなか祈りの時間を持てないし、聖書も読めない。

 

ズルズルと、あっという間に1週間が過ぎる。教会に行き、世に流されていたと気づき、祈りの生活をしたいと思う。だがついテレビやネットで時間がつぶれ、動画や雑誌は幾らでも見れるのに、聖書が読めない。好きな事なら時間を忘れる。なのに聖書の時間は無い。こんな繰り返しに自分でもいい加減嫌になり、主のもとへ行き祈った。

 

正直に打ち明け、助けを求めた。すると祈りの中で、主を本気で求めていない事に気づかされた。しかし自分ではどうにも出来ず、「求め」が与えられるよう、祈ろうと思った。その時、紛れもなく、祈った祈りの答えである事に感謝した。祈る事も聖書を読む事も、自分の力では出来ない。助けを求める時に主を経験して行く。

 

ある人は、なかなか祈れないので、主に助けを求めた。その時、忙しいから、時間が無いからでなく、祈らなくてもやって行けると、思っている自分に気づかされた。それは高慢ではないか。御霊の気づきを与えられ、心から感謝した。自分で何とかするのでなく、まずありのままを主に告げよう。その祈りは答えられる。 

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日々の祈りと御言葉のデボーションが大切であり、信仰生活の生命線である事が頭ではよくわかるが、自分の力では続けられない。義務になって、喜びが無くなってしまう。そんな時、ありのままの状態を主に告げる時に、確かに何かが変わるから不思議だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係