「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい・・天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」マタイ6:31

心配症で、思い煩いに悩まされている人は多い。起こるかも知れない事を想像して、不安になり思い煩う。不安材料を集め、現実であるかのごとくに、最悪のシナリオが出来上がる。しかしそれは妄想だ。現実に起きていないのだから、主も、そんな架空のものをどうにも出来ない。思い煩いを選択している自分の問題だ。

 

明日の事は私たちにはいっさいわからない。誰にもわからず、見えない。しかし主を信じる私たちは、明日に恐れと不安ではなく、主の愛を見る。明日は、主の愛に包まれ、主の配慮とご計画の中にあり、御手の中に堅く守られている事を信じる。見えない明日に、不安や恐怖ではなく、主を見、主の慈しみを信じる。これが信仰だ。

 

主の愛を信じて歩む時に、思い煩いの亡霊に惑わされない。そして、「神の国とその義を第一に」神第一を心に据える事だ。自分を第一、神を第二、第三にする事から、秩序が狂い、混乱が生じ、不安、恐れ、思い煩いが生じる。自分を中心に据えるなら、不安と恐れに支配され、あらゆる事が不安で仕方なく、思い煩いとなる。

 

自分で自分を支え、守らねばならないからだ。主を第一にするなら、主が全責任を取って下さる。そこから世にはない御霊の平安と喜びが来る。今、あなたの優先順位はどうなっているだろう。あなたを誰よりも心配していて下さる主がおられる。その主を信じ、主にゆだねて歩もう。そう出来るよう祈ろう。

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心配事、思い煩いへの解決方法がはっきり示されている事はなんと幸いだろう。神の国のご支配の中に置かれている。主が与えてくださる明日を信じ、喜んで今日を生きよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係