「ところが献灼官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。それから二年の後・・」創世記40:23

兄たちにより、隊商に売られたヨセフは波瀾万丈の人生だった。エジプトで奴隷として仕えた主人には好意と信頼を得たが、その妻により無実の罪で投獄になってしまう。異国の地に売られ、主人の好意で引き上げられたかと思うと、一気に地面に叩き落とされたかのように、投獄だ。

 

10年の監獄生活は、どんなにか苦しみがあったろう。しかし置かれた場で、ヨセフは主を見上げ、主を信頼し忠実に出来る事をして行った。すると、模範囚となりそこですべての囚人を任せられ、世話をする事となった。監獄の中では、悲観的になり、自己憐憫に陥り、失望し、やけになる事もできたが、ヨセフは、腐らず、逃げず、諦めず、主の訓練を受けて行った。

 

次には、出獄の献灼官長が、ヨセフの無実をパロに伝える事になっていたが、忘れてしまった。そこでなおも2年が経過。今日か明日かと、今にも出獄の望みがあっただけに、逆に更に厳しい試練の2年となった。だが、ヨセフは忍耐し、主を待ち望んだ。2年後、パロが夢を見た事で、献灼官長が牢獄のヨセフを思い出し、獄から出された。突然にして、時満ちて、道が開かれた事に、自分の力や自分の知恵、何ものにもよらない、主の働きを見た事だろう。

 

主の訓練にへりくだって、服して行く時、試練を受け入れて従って行く時、主が「ちょうど良い時に」引き上げて下さる。その前でも、後でもない、さじ加減ピッタリの「神の時」だ。今、主からの訓練が臨んでいたなら、受け入れられるよう祈ろう。それがへりくだることで、その時、主がご計画を成し遂げて下さる。 

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主は痛みも苦しみも悲しみも、すべてご存じで、じっと見て下さっている。すぐに出獄できると期待した2年は、どんなに厳しい試練だったろう。主を待ち望む時、必ず丁度良い時に救い出して下さる。それを信じて歩める事が、祝福だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係