「また求めるものは何でも神からいだたくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです」Ⅰヨハネ3:22

ある人が、祈りの要請を受けた。それは、2人の小さな子どもを持ち、フルタイムで働いている女性からだった。特に仕事の忙しい時期で、育児のために祈って欲しいと。すぐに引き受け、祈る事を約束した。しかし自分も慌ただしく過ごしていて、祈りはするのだが、しっかりとは祈れていなかった。そんな中、時間が取れたので、主との交わりの時を持った。

 

御言葉に向かっていた時に、「子どもたちよ」と語りかけられた。「ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか」が、心に響いて来た。彼女は、日々どんなに大変で、疲れているだろう。自分は具体的な助けを、何もしていない事に気づかされた。

 

食事を届けるとか、子どもを少し見て上げるとか、何か具体的な助けをしたいとの思いを与えられた。何をしましょうかと、祈りに持って行く事ができた。御霊の示しに心から感謝した。しかしこれらの導きも、よく祈れていないながらも、小さな祈りに主が答えて下さった結果だとわかり、更に喜びが湧いた。

 

私たちはどうだろう。具体的助けを必要としている人が、周囲にいるだろうか。言葉と口先だけでなく、何か出来る事があればと、主に祈ってみよう。そして示された事を実行するなら、神の御前に心安らかにされると言っている。自分が従う時に、自分も祈りの答えを主から頂くことが出来ると。何という恵みだろう。

 

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自分自身も、主の示しに従うから、主は、祈りに豊かに答えて下さる。うすうす感じながら、向き合うのを避けている事、示されているのに、ぐずぐずと、なおざりにしている事、今一度、主に向き合あおう。従えるよう祈ろう。すばらしい祝福が備えられている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係