「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか」民数記14:11

カナンの地へ斥候に出た12人の内、10人は不信仰に陥った。不信仰になると、恐れに支配され、相手が巨人に見え、自分はいなごに見える。城壁は巨大で、人々は強く、食い尽くされそうだ。自分たちは弱く、小さく、とうてい太刀打ち出来ない。無理だ。自分は惨めで、消え入るばかりで、素晴らしい主の約束の地は何も見えず、恐れと不安、恐怖、すべてが後ろ向きだ。

 

斥候の10人は見て来た事を「悪く」言いふらし、民を扇動した。民は、双方の意見を聞いたが、否定的、不信仰な方を受け入れた。不信仰を選択したのだ。民は大声で叫び泣き明かした。あの苦難のエジプトの方が良いと、モーセとアロンへの怒りが噴き出す。神はこの地に連れて来て剣で倒そうとするのかと。

 

約束の地を前にしてまで、悪意の神とする。不平不満と愚痴、自己中心の心には、主の御心が何一つ見えない。新しいリーダーを立てて、何とエジプトへ帰ろうと言い出す。堅く信仰に立つ、カレブとヨシュアを殺そうとするのだった。不信仰になった彼らは皆、約束の地へ入れず、荒野で滅ぼされてしまった。

 

不信仰でなく、「信仰」を選択しよう。「御言葉」に立とう。カレブは約束を堅く握っていた。だから「上って行って占領しよう、必ずできる」と言えた。彼らは私たちのえじきになると。彼らの守りは取り去られている、主は共におられると。

 

信仰と不信仰はこんなにも天地の差があり、正反対になってしまう。私たちを極みまで愛し、慈しみ、心配して下さっている主を、信じて行く者とされるよう祈ろう。

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荒野にあって求めるものは与えられ、守られて来たのになぜ信仰に結びつかなかったのだろう。世の様々なことに一喜一憂してしまうが、その都度主の側に立ち、御言葉を選択したい。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係