「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、 ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、 歩き回っています」Ⅰペテロ5:8

信仰生活で、悪魔の執拗な誘惑攻撃に会う事があるだろう。しつこいその誘惑を何とかしようとすればするほど、更にがんじがらめになり、はまって行く。自分の思いを無くそうとすればするほど、思いがもっと強くなる。それは誘惑と戦って行くと、逆にその誘惑に思いを集中する事になるからだ。

 

例えば、嫌な愛せない相手がいたらどうだろう。嫌な思いはますます強固になり、モンスターとなり、支配されてしまう。思い煩いはどうだろう。煩いを払おうとするが、更にはまって行き、どうにもならなくなる。思いが囚われてしまう。そしてどんどん消耗し力尽きてしまう。

 

「思ってはいけない、してはいけない」と必死になりがちだが、その場から立ち、思いの向きを変えてしまうとよい。さっさと家事を始めてしまう、用事をする、外出するとか、立って行動する事は有効だ。それが立ち向かう事になる。悪魔はもう無駄だと思うと離れる。

 

又、敢えて誘惑の場に近づく事は、誘惑に自分から乗って行くようなものだ。「避ける」行動が必要だ。テレビや本が誘惑になるなら、消して、閉じる。酒店や特定の店が誘惑になるなら、店に入らない、近づかない。誘惑になるものから離れる。自分は大丈夫と思う事が大きな攻撃で、失敗してしまう。

 

何よりも、積極的に御言葉や賛美や祈りで心を満たす事だ。空洞の心には必ず悪魔が来る。悪魔は「思い」に攻撃をし向けている。又、問題には根本的解決を、主に祈って行こう。取り扱い、解決に導いて下さる。

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思い煩っていればどこか安心で、憎しみは蜜の味がする。少しずつ心の領域を悪魔に明け渡している事に気づきたい。いつも自分の弱さを覚えて、誘惑から逃げよう。主に助けを求めたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係