「『主よあなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい』」ヨハネ21:17

人は、弱くて醜い自分の本当の姿に、きちんと向き合わない限り、自分を変えて行く事はできないと、言われている。岸辺で「食べる物がありませんね」と言う誰かの声がした時、弟子たちは「はい、ありません」と現実を認めた。プロの漁師だったペテロたちが、ガリラヤに戻った時、再び網を取り、漁をした。

 

しかしプロのベテラン漁師にかかわらず、何も捕れなかった。挫折感、屈辱感、空虚感があった事だろう。3回も主を否んだペテロは心に深い痛手を負い、これならと唯一自信ある漁をするが、一匹も捕れない。ありのままの脱力感、無力を認めた時、「舟の右側に網をおろしなさい」と声が聞こえてきた。

 

何だかわからないが、その声に従って、網をおろすと、何と驚くべき大漁だった。網を引き上げられないほどの、おびただしい魚だった。ヨハネが以前の光景と全く同じである事に、主だと直感した。「主です」の声にペテロは湖に飛び込み、一刻も早くと主のもとへとの思いだった。

 

陸地に上がった時、炭火があり、魚とパンがあった。それを見た時、ペテロは、主を否んだ時の、あの炭火が脳裏に浮かんだだろうか。主は、合わせる顔のないペテロに、三度「わたしを愛しますか」と問われた。「私の心を見て下さい、主はすべてご存じです」と答えた。砕かれたペテロがそこにいた。主の愛は、そのペテロを見事に回復させ、主の働きに戻された。

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失敗する度に自分には何も良いものがない事を認めさせられる。それでも赦して愛してくださる主がおられる。もう自分から目を離し、主を見て歩めるよう主が回復させてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係