「母は手伝いの者たちに言った。『あの方が言われることを、何でもしてあげてください』」ヨハネ2:5

婚宴で、ぶどう酒が無くなった。当時の宴会では、ぶどう酒は大きな役割を果たし、途中で無くなるなど、宴はぶち壊しで、主催者の大失態となる。心配したマリヤが、主に「ぶどう酒がありません」と告げた。とにかく主に言えば、何とかして下さるとの思いだったろう。しかし主はマリヤの言動によってではなく、御父の御心によって動かれる。

 

主は「わたしの時はまだ来ていない」と応答されたが、マリヤは「あの方が言われることを、何でもするように」と手伝いに告げた。主が必ず助けて下さり、最善をして下さると信じたからだった。結果的に、主は奇跡をされ、上質の最高のぶどう酒を備えられた。信じるとは、主にいっさいを任せる事だ。

 

その成就の「時」をも、委ねる事であり、主の御手の中だ。祈りの中も、とにかく早く答えが欲しくて、早く早くと焦る。なかなか答えを待てない。待てないため、不安と焦り、思い煩いに囚われる。それならいつも焦りで欲求不満状態だ。これは委ねる事ができないところに原因がある。そのため、時を待てないで、自分で行動してしまう。

 

自分が良いと思う事を、自分の方法で、自分の思う時に行動する。そして失敗してしまう。アブラハムが約束のイサクを待てないで、自分の思いと力で、イシマエルを生み出してしまった。信じるとは委ねることだ。成就の「時」を主に任せる。主は、御心の時に、事を成し遂げて下さる。それは、結果的に私たちにとり、最善の時、美しい時だ。

 

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問題は、待てない事だろうか。待つ事は非常に難しい。自我が妨げ、自分では委ねる事も出来ないし、待つ事もできない。だから祈りがあり、「出来ません」と祈って行こう。そこに主が働いて下さる。出来ないから祈ろう。みわざをして下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係