「あなたは私より先にギルガルに下りなさい・・あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私があなたのなすべき事を教えます」Ⅰサムエル10:8

サムエルはサウル王に、自身がいけにえを献げるので、到着するまで七日間待つよう命じた。だが七日を経ても、サムエルは来ない。状況は悪く、イスラエルは圧迫され、民は恐れて洞穴や隠れ場に逃亡し、又、ヨルダン川を渡り、逃亡する者もいた。だがサウルはギルガルで待っていた。そんな中、敵にひどく動揺し、不安と恐怖が、まんえんして行った。

 

サウルは非常に焦った。三千人が六百人までに減った。このままでは崩壊だ。サムエルは来る気配が無いので、サウルは自分でいけにえを献げた。この軍勢は神の軍勢である事を示し、民の士気を高めようとした。すると何とそこにサムエルが到着した。サムエルはサウルを厳しくとがめた。いけにえは祭司しか献げる事ができない。

 

「愚かな事をした。あなたの王国は立たない。主が命じられた事を守らなかった」。しかし遅れたサムエルが、悪くはないのか。敵はどんどん侵攻し、民は怯えて逃走し始めている。こうしなければ壊滅だとサウルは判断した。だがそういう問題ではない。軍を支配し、敵を支配しているのは、どなたであるのか。

 

ヨナタンは言った「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない」勢力の題ではない。主に従うべきであった。又、祭司以外の者が献げるのは、してはならい権行為だ。サムエルの命令は「そこで待て」だった。どこまでも待つべきであった。それが信仰だ。今、目の前の状況で、焦りや動揺があるだろうか。主を信じ、主を待とう。「神の時」がある。

 

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見えるところはには大きく影響を受けてしまう。壊滅状況で、最悪であっても、主の言葉の方を選択し、御言葉に立てるよう祈ろう。状況と御言葉が相反する場合には、御言葉の方を選択し、従えるよう祈ろう。主のお心一つで、状況も変えられる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係