「主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨はおそれおののいています」詩編6:2

ダビデはサウル王に妬まれ、嫉妬は憎しみとなり、命をつけ狙われる。実際、槍を投げつけられ、本当に危うく殺されかけた。真に差し迫った身の危険に、その恐怖は、いかばかりであったろう。又、自分の実の息子からの謀反、敵対はどんなに心痛み、苦しい事であったろう。敵からも攻撃があり、病にも陥り、身も心も絶体絶命の厳しい深刻な苦境だ。

 

「彼はわたしの心にかなった者」とダビデこそ、主の心にかなった人だった。信仰者になると悩み困難が無くなるのではない。問題は必ず来る。私たちは苦しくて、とにかく目の前の問題が去る事を願う。ただただ去って欲しい。しかし苦しみの中でこそ、神が神であられる事を、身をもって知って行く。

 

ダビデは「嘆きで疲れ果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、なすすべなく泣いて泣いて嘆いた。苦しみの中でこそ、主との深い交わりに入れられる。それは苦しみの中でしか得られない。ダビデは「主よいつまでですか、あなたは」と、ありのままの気持ちを主にぶつけている。順境の時には、決して経験する事が出来ない、主との関わりだ。

 

自分で何とかしようともがき、走り回るのではなく、問題をすべて主に持ち出そう。自分で当たると空回りだ。何もかもを注ぎ出し、苦しみ、悲しみ、嘆き、痛み、怒りをありのまま主に告げよう。主が受け止めて下さる。試練の中で、主との近い交わりを経験する。そして、平安へと導いて下さる。

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自分で何とか出来ないことを知らされるのも試練の中だ。繰り返し主に祈り、一つ一つ主との関わりを確かめて歩むうちに、叫んでいる心も静まっていく。主の導きを待ち望めるようにされる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係