「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている」 Ⅰ列王17:9

エリヤは、主の示しでケリテ川のほとりにいたが、日照りで、川の水が枯れた時、次にツァレファテへ行くように命じられた。やもめにより養うと。主の言葉に従い、その町へ行くと、やもめに出会った。そこで彼女に水とパンを頼んだ。すると、何という事か、彼女はエリヤを養える資産家などでなく、最後の一握りの粉でパンを作り、母子で、最後の食事をして死のうとしていると言う。

 

極貧のやもめであった。エリヤは何と思ったろう。目の前の人物は、人を養う事など不可能だ。しかし助けを求めなければならない。何という状況だろう。人間的に考えるなら、その最後のパンを自分にくれとは、とても言えない。しかしエリヤは見える状況でなく、情や自分の思いでもなく、御言葉に従った。ただただ、主に言われる通りに従った。

 

まず私に小さなパンを作り、その後にあなた方のために作るようにと。そうするなら、飢饉が終わるまで、粉は尽きず油は無くならないと。人の思いや情は、神のみわざを妨げる。エリヤは御言葉に立ち、「あなたの神、主は生きておられます」と言った彼女は、その言葉に従った。

 

すると奇跡が起きて、やもめと息子は飢饉のまっただ中で、豊かに養われる事になった。神を第一にする時、みわざを見る。自分の思いや情、見えるところが反対方向を向いていても、神の言葉を選択し、従おう。その時、神が全責任を取って下さる。

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御言葉と状況が違う時、すぐにああだこうだと理屈を考えて素直に従うことができない。御言葉と常識はいつも違う。素直に主を頼り従いたい。主は喜んでくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係