「彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。『風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』」 マルコ4:41

湖の舟の中から、群衆に話しておられた主が、弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われた。彼らは、そのまま舟で主をお連れした。夕刻だった。すると湖で激しい嵐に会った。それは、身の危険を感じるほどの強烈な嵐であり、舟は波をかぶり、水で一杯になった。転ぷくの恐怖でパニックになる中、主を見ると、こんな嵐のまっただ中で熟睡しておられた。

 

平然と眠っている主に、弟子たちは「私たちが溺れ死んでも何とも思われないのか」と詰め寄った。弟子たちの態度は、主を主として崇め、信頼し、へりくだった求めではなく、「私など、どうなってもよいのか。私の願いを叶えよ!」と、主に命じているような、すねたような自己中心な態度だ。

 

しかし主は、舟から水をかき出す助けをしたのでなく、風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると突然風はピタリと止み、大なぎになった。自然を支配しておられる主に、弟子たちはもうびっくりし、大きな恐怖に包まれた。弟子たちは主に従ったので、大嵐に会った。主に従わず、舟を漕ぎ出さなければ大嵐に会わなかった。

 

しかし、嵐も主からのもので、弟子たちはその結果、驚くべき事を目の当たりにし、自然界をも支配する主である事を、知った。私たちも主に従う中で、大嵐に会う。その時、更に新たに主の力を経験させられて行く。心を屈折させるのでなく、嵐は、主の愛、主の真実、主の力を、主ご自身を経験できる時だ。受け止めて行けるよう祈ろう。

---------------

主に従う中で大嵐にあう。そして私たちも同じように恐れうろたえてしまうが「黙れ、静まれ」と風と波を一括してくださる主は共におられる。主を頼り主と共に向こう岸に渡ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係