「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる」箴言14:4 

牛は、農作物の収穫のためには、どうしても必要不可欠だ。牛によって多大な収穫が期待できる。人手だけでの収穫とは比較にならない。牛の力は大きく、私たちに多大な益をもたらしてくれる。しかしその飼育は重労働だ。常に汚れる牛舎を掃除し、えさを用意し与え、ふんを始末し、手間のかかる、多大な労力の要る作業だ。

 

それは大変で骨が折れる。余りのやっかいさに、牛さえいなければと思ってしまう。それなら骨の折れる作業もなく、汚れず、きれいなままだ。だが、それなら人手による、限られた収穫しか得られない。牛の力により、豊かな収穫をもたらされる。

 

これは私たちの対人関係でも言えることだ。人と関わらなければ、問題は起きないし、傷つくことも、嫌な思いをする事もない。又、義理での付き合いに、時間や労力を取られる事もない。しかし喜びや楽しみ、感動を味わう事もない。時に問題も起きるが、人との関わりの中で、私たちは豊かに成長して行く。

 

人との摩擦により、そこで砕かれ、練られ、沢山の事を学んで行く。御霊の喜びを経験する。私たちは何かを遂げようとする時、必ず犠牲が求められる。犠牲を払う事が必要だ。時に、面倒で煩雑な事もある。しかしそれにまさるもの、愛、喜び、平安、寛容・・御霊の実の結実を得る。

 

今、どうだろう。牛の世話で、不満や思い煩いでいっぱいだろうか。牛が与えられていることの恵み、祝福、喜びが飛んでしまっているだろうか。問題から主に目を移し、祈りと御言葉に返ろう。豊かな御霊の収穫を刈り取らせて下さる。

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肉はいつもきれいな飼葉おけを望んでしまう。動いてみるまで労した後の満足感や喜びがわからない者だ。主が様々なことを通して与えようとされている恵みを受け取りたい。主と共に動いてみよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係