「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました」詩篇51:4

サウル王とダビデ王は、どちらも王であった。しかし二人の最後は天と地ほどに、かけ離れたものとなった。どちらも罪を犯したのだが、サウル王は神から退けられてしまい、ダビデ王は祝福へと進んだ。ダビデはバテシバとの姦淫、その夫のウリヤ殺害という重罪を犯した。

 

サウルは、サムエルを待たないで、祭司しか献げられないいけにえを献げ、又、アマレクを聖絶せよとの命令にそむき、聖絶せずに最も良いものを残した。ダビデはナタンによる罪の指摘に「私は主に対して罪を犯した」と言い、サウルはサムエルからの罪の指摘に「私は罪を犯しました」と言った。

 

双方、言葉にすれば同じだが、ダビデは「主に対しての罪」と、心底の悔い改めに対し、サウルは「しかし私の面目を立てて下さい」と言い「面目を立てて」の方が本心であった。サウルに悔い改めは無かった。ダビデは詩篇で「私の罪は、いつも私の目の前にあります」「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行い」と逃げ隠れしなかった。

 

だが、サウルは罪に向き合う事もなく、言い訳に終始し、自分の罪を何と兵士や民のせいにした。自らのプライド、名誉の挽回が重大事だった。サウルは非常に悲惨な最期を遂げた。ダビデは悔い改め、罪が赦され、平安にされた。二人共、罪を犯したが、結末は天と地ほどに違ってしまった。罪は犯してしまうが、主に向き、すぐに主のもとへ行こう。

 

・・・・・・・・・・・

本当にサウルの最期は悲惨だ。Ⅰサムエル31:4。剣の上に身を投げて自害した。ダビデも最初は隠ぺいしていたが、罪の指摘に悔いくずおれた。罪を認め、悔い改める時、完全に赦され、癒やされる。主が、二度と思い出さないと。御霊の示しや促しに従おう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係