「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを 聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」 Ⅰヨハネ5:14

神に出会うまでは、神無しの人生を生きて来たので、この世の価値観が深く根づいている。どこまでも軸が自分にあり、自分軸で考えてしまうし、そうしか出来ない。それが普通の状態で生きて来たからだ。そのためにどうしても、「自分のための神」になってしまう。 

 

「自分が幸せになるための神」「自分がより良い人生を送るための神」「自分が楽になるための神」「自分が人格者になりたいための神。その底は、どこまでも「自分」であって、「初めに神」ではなく、「初めに自分」なってしまう。「自分」のための神だ。

 

しかし、そこには本当の喜びである「御霊の喜び」が無い。真の平安も無い。そして聖書の信仰は、神中心なので、自分中心でとらえると、なかなか神も、聖書もわからない事になる。又、自己実現、自己充足等は、何も悪いことに思えないので、そのための神としていても、ほとんど気づかない。

 

しかし御霊が働かれ、信仰生活を導いていて下さるので、御霊により少しずつ少しずつ、自らの姿を見せられる。気づきを与えて下さる。教理的には、神の栄光のために生きるのだが、実は、自分の栄光と自分の願い、要求のみで、神のお心、神の栄光など発想にも無いことに気づく。

 

そこから成長が始まって行く。自らの求めを、神の御心に沿ったものへと求め始め、自分が変えられて行く。主の栄光を求める事を学ばせられて行く。その時に、主のお心と自分の思いが合致するので、自らの心の願いが叶えられて行くことを経験する。

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御霊によって自分の反応がはっきりと知らされる。それでも更に主へ近づくようにと御霊は導いてくださる。一つ一つ祈りの結果を主に明け渡していこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係