「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです」ヤコブ1:17

ここに「試練」と「誘惑」が出て来るが、違いは何だろう。試練は主から来るもので、私たちの成長のためのものだ。良いもので、逃げず、避けず、受け止めて行く時、私たちを更に主に近づける。試練を通して砕かれ、練られ、御子のかたちへと形造られて行く。試練により忍耐が生まれ、忍耐を働かせる時、成長を遂げて行く。

 

そして試練に耐える時、いのちの冠を受ける。試練はトンネルの中だ。このトンネルは必ず出ると信じる事、主は必ず良くして下さると信じる事が「忍耐」の意味だ。その時、信仰が一段階一段階と成長して行く。誘惑はサタンからのものだ。主は決して悪に誘惑されない。誘惑の目的は、私たちを主から離す事だ。

 

誘惑には忍耐するのではない。誘惑は拒否し、その場を去り、逃げ、避け、近づかない事だ。罪には一瞬の快楽があり、罪は大変魅力的だ。それは甘くて心地良い。苦いものなら、近づかず誘惑になどならない。必ず非常に心地良いものだ。食べるに良く、目に慕わしく、好ましい。しかし「だまされるな」と続く。

 

すべての良い贈り物、完全な賜物は「上から」来るのだと。光を造られた父から下る。サタンの誘惑に陥ってしまうのは、良いもの、賜物を、主が与えて下さると信じられないからだと。だから自分で何とかし、自分で手に入れようとして、罪を犯してしまう。そこが自らの問題なら、そのままを主に祈ろう。主は祈りに答え、取り扱い、導いて下さる。

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上から来るよいものを待ち望むより、簡単にある目の前の刺激に反応してしまう。サタンは狡猾だ。多くの失敗から学びたい。行動に移す前に、今一度祈り吟味し、最善のものを主に求めていきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係