「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」イザヤ1:18

「自分の過去と他人は変えることができない」との言葉がある。自分自身を変えられるだけで、他人を変える事は出来ないと。そして変えられない自身の過去の失敗を思い、くよくよと落ち込み、暗くなる事があるだろうか。普段は目の前の事に忙しく、忘れているが、何かがあると、過去の過失、傷が思い出されるだろうか。

 

フラッシュバックし、心重苦しくなり、思い煩いと不安に陥る事があるだろうか。悔い改めたその罪は、主の十字架の血潮によって、すでに完全に赦されている。「わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さない」と。取り返しがつかないと思う失敗、ミスした選択、もしあの時、別の道を行っていたら、この時、違う対処をしていたら、又、逃してしまったあのチャンス。

 

今、自分の人生は全く違ったものになっていただろうか・・堂々巡りしては、くよくよと後悔する。しかし、もし全能の神が、あなたに別の道を歩ませたければ、その時、そう出来なかっただろうか。心の奥にとがめや不安、迷いがある時、確信持った前進が出来ない。感謝と喜びが奪われる。過去のその所に主を認めよう。

 

「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない」との宣言だ。罪の全き赦しを受け入れ、くよくよでなく、感謝しよう。赦された気分がしないと、何度も〃同じ事を悔い改める度に、信仰が失せて行く。

 

自分の感覚と御言葉と、どちらを選択し、信じるだろう。赦された事への感謝を献げよう。主の摂理と御心を認め、信仰もって受け入れよう。受け入れた時に、前に向かって進んで行ける。

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主の十字架の赦しは、悔やんだり悩んだりした先にある望みではなく、既にこの手にある事実だ。感謝するばかりだ。罪を悔やむ思いは来るが、その度に十字架の恵みを覚え感謝しよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係