「また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように」コロサイ1:10

よく寒暖計と自動温度調節装置サーモスタットが、信仰生活に例えられる。室内に寒暖計が置かれているだろうか。暑ければ高温で、寒ければ低温だ。気温の通りに正しくそのままの温度を指し示す。そのように、相手の対応通りにそのままに反応する信仰生活の事だ。 

 

相手が柔和なら柔和に、親切なら親切に、冷淡なら冷淡に、いじわるならいじわるに、怒ればこちらも怒る。そうであるなら相手依存で、自分の感情や態度、自分の幸せ、不幸せも相手次第になってしまう。自分以外のものに、コントロールされている事になる。どうだろう。

 

他人の一言で心が暗く重く、嫌な気持ちに支配されて落ち込み、しっかり反応してしまっているだろうか。又、冷ややかな態度になる寒暖計だろうか。人を見ている時は、主を見ていない。見えるところだけを見ているなら、御言葉が飛んでいる。ある人が職場の会合で、発言者と異なる意見を述べた時に、相手に嫌な態度をとられた。

 

翌日から挨拶しても、無視された。しかし主に祈り、示され、こちらとしては主と共に挨拶をし続けた。すると自分の心には主の下さる平安があった。挨拶を続け、仕事上の事で助けられ、感謝を告げて行った時に、いつしか通常の良い関係にされて行った。

 

主により寒暖計ではなく、サーモスタットとして下さった事に感謝だった。まず主に祈り、示しに従う時、御霊がそのようにして下さる。そして信仰人生に御霊の実を結んで行く。

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相手の態度で簡単に主の平安を奪われないよう、御霊の導きに従えるよう祈ろう。感情は寒暖計のようにアップダウンする。そこから主に助けられ、御霊の導く方へいこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係