「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」ピリピ4:13

「神は、御心のままに、あなたがたの内に働いて志を立てさせ、事を行わせて下さる」とあり、御心にかなった志を与え、事を行わせるのは「神」だと。すべての主導が神にある。しかしだからと言って、私たちは何もしないのではなく、実際に事を行うのは、自分自身だ。だがそれは、キリストの力が内に働くのであって、肉の力・肉の頑張りではない。

 

必要な力は、主から来る。祈って何もしないのでなく、祈りつつ、キリストの力によって奮闘する。例えばピアノを習得する時、ただ祈ってさえいれば、ある日突然、バッハ曲を弾けるようになるのではない。日々、地道な練習を積み重ねる必要がある。語学やスポーツの習得も同様だ。実際に練習しなければ、どうにもならない。

 

その習得する力を、主が与えて下さるということだ。練習し続ける事ができるのも、祈りによる。又、ある時は、自分に出来る事が何も無い場合がある。例えば、経済的必要に関しては「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい」が原則で、御心だ。しかし病気や色々な事情により、働く事ができない場合がある。その時は、主が、天から必ず必要を与えて下さる。祈ればよい。

 

今、何か主から、志が与えられているだろうか。内に力強く働くキリストの力によって、成し遂げて行ける。主が語られた言葉に、従う時、主が成し遂げられる。「どんなことでもできる」と。示された御心に従って行こう。一歩を踏み出そう。

 

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主が語られたことを、主が成し遂げて下さる。主から示された事なら、「どんな事でもできる」、何と力強い励ましだろう。みことがを信じて示された一つ一つを祈りつつ実行しよう。そうできるよう、祈ろう。まず目の前の一つを行おう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係