「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです」マタイ13:19

「道ばたに落ちた種」とあるが、種である神の言葉が、道ばたに落ちた。もし大切なものなら、人々が踏みつける道ばたに、落ちたまま放っておくだろうか。もし貴重品が道ばたに落ちたらどうだろう。そのまま放置するだろうか。そんな事はしない。もし放っておくとしたら、それは捨ててもよい物、どうでもいい物という事になる。

 

道ばたの心で聞くなら、神の言葉をそんなに大事なものとは思っていない事になってしまう。気に留めていないので「悪い者が来て、その人の心に蒔かれたかれたものを奪って行く」と。悪魔が来て、信じて救われることがないように、御言葉を奪ってしまう。心に入らないなら、聞かなかった事になってしまう。

 

心に植わらないなら、実を結ぶ事がなく、自分が変えられる事もない。主が、エジプトの奇跡の時に、激しい雹を降らせるから、今すぐ野にあるすべてのものを避難させよ、死んでしまうからと言われた。その時、主の言葉を恐れた者は、しもべたちや家畜を家に避難させた。

 

しかし、主の言葉を心に留めなかった者は、しもべたちや家畜をそのまま野に放置した。その通りに、雹はすべてのものを打った。主の言葉を畏れるなら、言葉を受け取る。そこから行いが生まれる。御言葉に従う時に、初めて自分が変わって行く。私たちの御言葉への態度はどうだろう。

 

軽んじているだろうか。ないがしろにしているだろうか。神の言葉には力がある。愛があり、真実があり、御言葉は、神のわざを成し遂げて行く。祈って、御霊に助けられて、御言葉を聞いて、示されたことに従おう。素晴らしい祝福にあずかる。

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御言葉を聞いて、出来るかどうかを頭で考えれば無理だ、自分には関係ないと思う。そのまま流さず生きて働かれる主の御言葉を信じよう。御霊の導きのままに受け取ろう。主が成し遂げてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係