「こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。 イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た」 出エジプト14:30

モーセに導かれたイスラエルの民は、エジプトを出た。しかし頑なになったパロは、自ら軍勢を率い、えり抜きの戦車600と全戦車を率い、民を追跡した。追いついて、どんどん近づく。民は、迫り来る軍勢に恐れ、主に叫んだ。そしてモーセにかみついた。なぜエジプトから連れ出したのか、荒野で死なせるためか、エジプトにいた方が良かったと。

 

祈っていたモーセは、「しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」「主があなたがたのために戦われる」と。その時に、主はモーセに言われた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え」。モーセは、ずっと主に向かって叫び祈っていた。

 

目に見えるところ、常識、人間的思いでは、前進するなら、海に溺れて死ぬ事になる。しかし見えるところや人間的判断でなく、主に示された通り、手を海に伸ばすと、水が分かれた。皆が渡り、追跡して来た軍勢が、あとから海に入った。モーセが手を海に伸べると、海は元の状態に戻り、軍勢は海に飲み込まれた。

 

そのために追跡させられたのだろうか。その結果、民は、主がエジプトにされた御力を見、主を恐れ、主とモーセを信じた。従う時に、主の御力を経験し、更に信じて行ける。そして主の栄光を拝する。見えるところや自分の思いがどうであろうと、主の導きに従う時、主を体験して行く。信仰によって選べるよう、助けを求めて祈ろう。

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海の中に道ができるなど信じられないと思う不信仰も、この弱さを主に預け、頼っていきたい。小さな問題も主に頼り主の導きを経験していこう。海を分けられた主が助けてくださる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係