「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」Ⅰペテロ5:7

多くの人は、悲観的思考に傾くと言われているが、私たちはどうだろう。心配症だろうか。ああでもない、こうでもないと、くよくよと思い煩うだろうか。それなら、本来は平安の中で、喜んで過ごす時間を無駄にし、つぶしてしまう。だが思い煩いの中にいると、気づけない。

 

これからのあれこれを思い煩うが、それは亡霊だ。現実ではなく、実際に起きてもいない事で、ただただ堂々巡りし、何も生み出さず、不毛の時間だ。心は暗く落ち込む。「思い煩い」とは「心を分割する」との意味があり、あの方面この方面へと、心があちこちへと分かたれる。

 

マルタが、主をもてなすために、準備にあれもこれもと心が分割し、焦り、イライラした。何もせず座っているマリヤに腹を立て、それを許している主を責めた。自分の力で頑張る時に、思い煩いが来る。自分の肩にすべてがかかり、担い切れず、いら立つ。主に頼らず、自力でする時に思い煩いに支配されてしまう。

 

又、私たちは、人が気になる。あっちにもこっちにも良い顔をし、人に良く思われたい。誰からも嫌われたくない。主の目でなく、人の目を気にする時に、どう思われるかが気になって仕方が無い。あの言葉、この態度と思い煩う事になる。とにかく思い煩いが来ると、それを主に持って行こう。

 

ありのままの思い、気持ち、心の悶々を主に告げよう。何も思い煩わないで、いっさいをゆだねよと言っておられる。主が受け止め、最善へと導いて下さる。ゆだねる時に、その問題が主に渡るので、重荷が主の肩に渡り、心が平安にされる。

------------

まだ起きてない事や、正解のない人の目など漠然と心配している。出口のない思い煩いに気づいたら、すぐに心の内を主に告げよう。弱さも矛盾も抱えたままで主に向かおう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係