「パウロは・・大声で、『自分の足で、まっすぐに立ちなさい。』と 言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した」使徒14:10

生まれつき足きかない男性がいた。かつて一度も歩いた事がなかった。パウロが御言葉を話していた時に、彼が丁度そこに座っていて、じっと耳を傾けていた。彼は歩けず、足に関しては、どうする事もできなかった。完全に無力の状態だった。自分で何のすべもなかった。だからこそパウロの「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」との言葉にすがりつけた。

 

もし他に方法があれば、そちらに行っていただろう。彼には、他に何も無く、この言葉しかなく、この言葉がすべてだった。御言葉にしがみつき、信じて賭けた。自分が徹底的に無力だからこそ、そうできた。力があれば、あちこちと方策を探し回り、自分で何とかしていた。その信仰に、神の力が働き奇跡が起きた。

 

御言葉に従うと、一度も歩いた事のない彼が、飛び上がり歩き出した。私たちも自らの無力を知る時こそが、信じる時だ。何の方策も無く、何もどうにもならない、信じるしか道がない。その時に初めて「信仰」が機能する。自力と自分の方法に頼り、自分を信じている限り、そこに神への信仰は無い。

 

信仰半分、自分の力半分という事はあり得ない。御言葉があっても、必ず自分の力、知恵、方法でやって行く。そこに信仰の入る余地がない。信仰とは、御言葉だけを頼りに、自分を任せて行く事だ。御言葉にすがりつく事だ。そのため自分の無力を知る事こそが大きな祝福の門口だ。世の価値観とは真逆で、無力こそが大きな祝福の道だ。

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主に信頼していると思いながらも出来ることは自力でやってしまう。完全に自分の力が役に立たないと知らされるのは実は大きな恵みの時ではないか。主にすっかり明け渡し頼ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係