ハバククは懸命に祈る。闘争があり、裁きが曲げられている中、「いつまで聞いて下さらないのか。救って下さらず、ながめておられるのか」と。その背景はユダのヨシヤ王は主に従おうと、偶像礼拝を断ち切り、次に宗教改革を行った。イスラエルはすでにアッシリヤに滅ぼされ、南ユダはアッシリヤとエジプトに挟まれていた。
そんな中、エジプトがアッシリヤに戦いを挑むが、ユダを通らねばならない。ユダとは戦う気は無かったが、ユダ王ヨシヤはエジプトを迎撃し、何と戦死してしまう。あれほどの信仰深い王が、あえなく死んだ事に、なぜ、どうしてとハバククは混乱し大きく動揺する。
そして主は、強暴なバビロンを起こすと言われる。ハバククは、悪者が正しい者を飲み込む時、なぜ黙っておられるのかと切に訴える。真剣に問い続けた。「私は見張り所に立ち・・主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう」と。すると答えが来た。
「遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れる事はない」。神の時は、私たちの時と異なる。私たちは遅いと感じる。何も動かず、いつまで待つのかと焦る。だが神には、決して遅くない。神のタイミングで来る。だから待てと。そして「正しい人はその信仰によって生きる」。
見えるところではなく「信仰によって生きよ。わたしを信じてついて来よ」と。私たちも、「いつまでですか」との問いに「遅くなっても待て。必ず来る。遅れる事はない」「信仰によって行きよ」と言われている。
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先はどうなるのかと真っ暗な夜の暗さを経験するが、主よ感謝しますと言える日が来る。遅くなってもそれを待てと。待たされる時も主の守りの中にある。信じて主の助けを待ち望もう。