「父は言った。『おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ。』」創世記27:35

ヤコブに、エサウとヤコブの双子の兄弟が誕生した時に「兄が弟に仕える」と、明確に主の御心が示された。アブラハムに約束された神の祝福は、弟のヤコブに受け継がれると。兄弟の生い立ちの過程で、父親はエサウを、母親はヤコブを偏愛した。兄と弟も霊的な事柄への関心と態度が違った。

 

兄エサウは、長子の権利より、目の前の自分の腹を満た食物が大切だった。それで空腹で死にそうな状況なら、食べる物が重大事であり、その時に長子の権利など意味も価値も無かった。だがヤコブは違った。狡猾で自我は強いが、神に関する霊の事柄に、貪欲に心が向き、価値を見いだしていた。その長子の権利も、祝福もどうしても欲しかった。

 

そのために母リベカと共謀し、策略により父と兄を欺いた。間違いは、主がヤコブに継がせるものを、必ず与えられるものを、自力で肉の方法と力で奪い取った事であった。父親イサクも、兄が弟に仕えるという主の御心を聞いていたのに、自らの思いで、自らが偏愛するエサウに祝福を与えようとした。それも肉によるものだ。

 

家族全員が、主を認め、主に従うのでなく、自分の肉の思いと方策で動いて行った。その結果、家庭崩壊で、秩序が壊れ、皆が不幸になり、ヤコブは兄の激怒で、家におれず遠く伯父のもとへ。どうであれ、全主権を持たれる主のご計画が成就する。結果的にヤコブが祝福を受け継いで行くが、各々主の御心に従うなら、どんなに祝福で幸せだろう。

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主から受ける豊かな祝福の約束よりも、目の前に来る事や自分の思いを優先してしまう。ヤコブの長い取り扱いの日々から学べる。主のご支配を認めて主の祝福の中を歩みたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係