「・・同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません」ヨハネ15:5

ある宣教師が、任地で懸命に働いた。当初は、宣教への大きな期と喜びで一杯だった。よく燃えて労した。だがその内に、目に見える成果がなかなか無く、失望し落ち込んだ。又、自分の思い通りでない状況に、焦り、イラ立ち、不安になり、思い煩った。次々と様々な方法を試行錯誤するが、結果がでない。年数の経過と共に、とうとう燃え尽き症候群に陥った。

 

その落ち込みのどん底で、責めず、さばかず、愛し慈しんで下さっている主に出会った。そしてその時、自分の姿がはっきり見えた。今まで、主のために一生懸命であったつもりが、実はそうではなく、自己満足であった事を見せられた。行動する事の充足感に突き動かされて、自分の力で動き回っていた。主のためと言いつつ、実は自分のためではないかと。

 

だから成果が出たら喜ぶが、成果が無いと落ち込みはひどく、いつも平安が無い状態だった。悶々としアップダウンは、はなはだしく、それなら成果主義で、平安などほど遠い。悔い改めて、何もかもを明け渡した。主は、建て直して下さった。

 

今度は、見た目は同じだが、主と共に、主の力によって労して行った。以前と同じ事をしているのだが、そこには、主と一つである喜びと安堵感があり、結果に関係なく、結果に左右されない、揺るぎない平安があった。成果はついて来るもので、主と一つである事が喜びだ。

 

・・・・・・・・・・・・

自分ではとても実を結ぶ事などできないが、主にとどまるなら、豊かな実を結ばせて下さるとあり、大変慰められ励まされる。自分を明け渡し、目の前の一つ一つの示しに従えるよう、祈ろう。御霊の実を結ぶと共に、証しにもされるとは何と嬉しい事だろう。、

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係