「彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず、同盟を結ぶが、 わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えるばかりだ」イザヤ30:1

ユダの王ヒゼキヤは、アッシリヤ軍によるエルサレム包囲に、エジプトに助けを求めようとした。「わたしによらず、わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えている」。主の指示を仰がず、パロの保護に身を避け、その陰に隠れようとすると。その結果は、侮辱と恥とそしりだと。

 

救いの道は、人間の思いと方法で動く事を止めて、「主に立ち返り、静かにすれば救われ、落ち着いて、信頼すれば力を得る」と。私たちも全く同様だ。困難が起きた時に、パニックになり何かに頼るのでなく、自分の思いで動き回るのでなく、それを止めて、ただ落ち着いて、主に信頼し、主の導きを待ち望むことだ。

 

その時、主は必ず導きを与えて下さる。「恵もうと待っておられ、あわれもうと立ち上がる」方だ。主を待ち望む者は幸いと。しかし私たちもどうだろう。急いで焦っている時、祈る余裕も時間も無く、とにかくすぐに済ませてしまおう、まず対処してしまおうと、動いてないだろうか。気持ちが急いて、主を仰がずに行動に走ってしまう。

 

しかし主を離れては私たちは何もする事ができない。実を結ぶことはない。大切な事は、主に導かれることだ。右に行くにも左に行くにも、あなたの耳は後ろから、「これが道だ。これに歩め。」と言う言葉を聞くと。人生の重大な進路だけでなく、右に行くにも左に行くにも導かれると。どんな時にも、主を求め、導きを求めよう。主は「これが道だ、これに歩め」と導いて下さる。

 

・・・・・・・・・・・・

ヒゼキヤはエジプトに頼ったが、自分の知恵や力に頼るなら同様だ。しかし何かをしたとしても、御霊の実を結べない。御霊の導かれて行った事だけが実を結んで行く。すぐに肉で動いてしまうが、主を仰ぎ、祈ること、日々の信仰の練習だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係