「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」ヨハネ4:14

暑い日中に、一人の女性が井戸に水汲みに来た。皆、涼しい夕方に来るのだが、彼女は隠れ、人目を避けていた。その時、主が話しかけられた。男性のユダヤ人がサマリヤ人に話す事など無く、非常に驚いた。主の「わたしが与える水を飲む者は決して渇く事がない」に、彼女は「その水を欲しい」と願った。

 

よくわからないが、汲まなくてもよいのなら欲しいと。すると主は「あなたの夫を呼べ」と。文脈がつながらず、水がなぜ夫なのか? 彼女は不可解であると同時に、グサリ!と心刺されたろう。最も触れられたくないデリケートな部分だ。そして、今、いるのは夫でなく同棲相手だ。「私には夫はいない」とかわした。

 

だが主は「その通り。夫が5人いたが、今いるのは夫ではない」と。ズバリ言い当てられて、ひどく驚いた彼女は「あなたは預言者か」、「ユダヤ人は礼拝する場所はエルサレムだと言うが、どうなのか」と問うと「誰でも、どこでも真の礼拝者が父を礼拝する、それが今来ている」と。

 

彼女が「キリストが来られる事を知っている」と言うと「わたしがそれだ」と。主を信じた彼女は、町の人々に「来て、見て」と、主を紹介した。隠れていた彼女が、町へ出て行き、180度変わった。主は、永遠の命に導くため、痛い核心を突かれる。私たちにも痛い部分があるだろうか。そこに来て頂こう。

 

赦し、いやし、真の平安と喜びへと導かれる。自分自身が変えられ、自由にされる。そして真の礼拝者とされる。彼女の心を知り、渇きをいやし満たすために、サマリヤを通られた主は、あなたの心をもご存じだ。

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主の御言葉によって隠していた所に光が当たる。普段は言い訳で隠していた部分を照らされるのは痛いが、闇から光へ主が導き入れてくださる時だ。豊かな渇くことのない恵みを受け止めよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係