「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた・・ハンナが主の前で、長く祈っている間・・」Ⅰサムエル1:10

口を開けば、愚痴、不平不満ざんまいの人々がいるだろうか。周囲は、絶えず愚痴を聞かされ、暗たんたる気持ちになる。そんな人はどんな環境にいても、必ず不満足だ。「あの人が~、この人が~」「家族がああで~、職場がこうで~」「あれが悪い、これが悪い、気にくわない」不満を探してはつぶやく。

 

だが完璧な環境にいる人など一人もいない。生い立ちの不満、親へのいら立ちは多々あるとしても、完全な親も一人もいない。状況だけを見ると、どんどん欲求不満が増幅するばかりだ。「人は幸せそうなのに、自分だけ」「なぜ自分ばかり」・・、自分、自分になり、自分は可哀想の自己憐憫に陥る。主が飛んで、主が無いので、状況に押しつぶされそうになる。

 

心は落ち込み、暗く沈み、又、怒りもわく。心がぐじゃぐじゃになる。「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」との言葉通り、常に、主は招いて下さっている。主のもとに行く事が答えだ。ハンナは募る憂いといらだちを持って行った。

 

心の内の怒り、嘆き、不満、恐れ・・何もかもを吐き出し打ち明けて、祈ろう。主と交わる時に、次の展開へと導かれる。悔い改めに導かれたり、又、主の視点で見るように変えられ、状況は変わらずとも心が落ち着いて来る。又、もしそれが御心なら現状も変えられる。まず主のもとへ行こう、「愚痴」も、主に向けるなら「祈り」となる。

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失望や悲しみが来る。つい愚痴や不満が口から出てしまうが、何の解決にもならず周囲に嫌な思い与えるばかりだ。直面している問題を主に祈ろう。主の平安を受け取れ、心が保たれる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係