「イゼベルは・・『あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちようにしなかったなら・・私を罰せられるよう』。彼は恐れて立ち」列 王19:2

エリヤはバアルとの対決で大々的勝利をし、主が奇跡を成された。激怒したイゼベルはエリヤ殺害命令を出す。するとエリヤは恐怖で逃げ、死を願ったのだ。あれほどの戦いに勝利して、なぜ怯えるのか?と思うが、し烈な霊の戦いに心身消耗しきっていた。人は機械ではない。又、霊的勝利後は、特に要警戒と言われる。勝利に喜び、安堵し、油断している所にサタンが牙をむく。

 

腹をすかしたライオンが襲いかかる。成功の後こそ、身を引き締め、へりくだり、更に主に拠り頼む必要がある。あの勇敢な彼が怯えた原因は、イゼベルの言葉だった。主の言葉でなく、イゼベルの言葉の方を取ってしまった。サタンの攻撃だ。受け入れるべき言葉と、聞き流し、拒否すべき言葉がある。

 

私たちも心が重苦しく、沈み込む時、主ではなく、サタンの言葉を取っている。主はエリヤを責めず、叱責されず、心身休息させられた。深く眠らせ、食事を与え、充分に休ませられた。心身消耗しきっている時は、何よりまず休息が必要で大切だ。十分な睡眠と食物で力を得て、回復したエリヤは、ホレブの山に行き、ほら穴にいた。

 

すると主は、山の上で主の前に立つよう命じられた。主の御声は極めて小さく、細い。そのかすかな細い声に、しっかり耳をそばだてて行くと、主はエリヤの思い違いを正し、新たな使命を授けられた。再び、主の使命を果たすべく立ち上がらせられた。主は私たちがダウンする時にも、同様に回復させ、新たな力を下さる。

 

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どの言葉を受け入れるかは、大切で重要だ。ネガティブな言葉を受け入れて行くと、心が暗闇に落ち込んで行く。サタンの攻撃だ。サタンからの言葉を拒否し、御霊からの言葉を受け入れて行く時、心は平安に守られる。波風逆巻く中も、心は守られる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係